【保ビ研エッセイ】

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<概要>「自分の介護について考えたとき、『家族には迷惑をかけたくない。家族とは対等な立場で接したい。』と思うなら介護保障に対する準備が必要です」ということが書かれています。
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「介護について思うこと」 エッセイスト風間佳 

近頃、『介護』の問題がさまざまなところで取り上げられている。
TVの特集を見ても、新聞や雑誌を読んでも、実際に知人の話を聞いても、
つくづく、これから日本が抱えていかなければならない重く大きな問題だと感じる。

その上、我々世代がもっとも切実な問題なのだろうなあ...と思うと一段と気が重くなる。
戦後のベビーブームで生まれた子が、60年たてばそのままみんなで老後を迎えるのだ。
支える方も、支えられる方も、大変だろうことは社会学者じゃなくたって分かる話だ。

さあ、どうしたものか・・・。まず、自分のことを考えてみよう。
そうだなあ、自分のことで言えば、せめて最期の日まで自分の足で歩きたいと思う。
今元気だからそう思えるのだろうが、自分は大丈夫だと思う。
少々足腰が弱ろうと、自分で食べて、自分で歩くことぐらいできる気がする。
それ相応の年になったら、無茶しないでちょっと気をつけながら生活すれば、
自分は介護状態にならない気がする。自分が寝たきりになるとは思えない。

・・・と思ったが、データはその私の希望的観測を曇らせる。

寝たきりになるきっかけは、脳卒中が3割以上、次いで骨折が1割だというのだ。
体は丈夫な私だが、脳卒中にならないかと言われれば、それは分からない。
骨折しないかと言われれば、それも分からない。
脳卒中も骨折も元気だからと言って無関係なものじゃない。誰にでも起こり得ることだ。

・・・そうかあ。それじゃあ、百歩譲って寝たきりになった時のことを考えてみよう。

もし寝たきりになったとしても子供の世話にはなりたくないなあ。
家族が私に付きっきりで何もできないのも嫌だなあ。
私の介護のために家族の人生を犠牲にするのは嫌だ。忍びない。
何よりも、「すまない」「情けない」と思って毎日を送るのが嫌だ。
家族とはいつまでも対等な立場で接したい。親として、伴侶として、凛としていたい。

自分の介護は仕事としてやってくれる人に頼みたい。
仕事でやってもらうんだから、感謝はするが、すまないとは思わなくてすむ。
そうすれば寝たきりになっても、最期まで家族とはいい関係を保てると思う...のだが、
どうだろうか。

ただ、思うような介護サービスなどを受けるには、費用の問題もあるのだろうなあ。


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2008.05.13 | 介護保障について | トラックバック(0) | コメント(-) |

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