【保ビ研エッセイ】

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<概要>「生命保険は御守りになる。御利益があります」ということが書かれています。
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「生命保険は御守り」 エッセイスト風間佳 


「生命保険は御守り」だという言葉を耳にする。
『御守り』という言葉を辞書でひいてみた。
「それを身に付けていれば、神や仏がその人を災難から身を守ってくれるというお札」と書いてあった。
「生命保険は御守り」なのだろうか。その御利益はいかばかりだろうか。

「生命保険は病気になった時の回復力に実際に影響がある」という話を聞いた。
どういうことかと言うと、
充分な保険に入っていない人が難しい病気にかかった場合、本人を襲う心理的負担は
「死が目前に迫っているという辛い事実、恐怖」
「自分のいなくなった後の家族の生活を思う不憫さ、心配」
「自分が充分備えておかなかったことへの後悔、家族へのすまなさ」
「最先端の高度な治療を経済的理由で受けれないくやしさ、無念さ」
そういった、3重苦、4重苦が患者の胸を押し潰す。
「こうなる前なら何とか手が打てたものを、今となってはもう何もなすすべがない」
悲観と悲嘆が患者の気力を奪い、心身ともに衰弱し、結果死期をも早めてしまう。

充分な保険に入っている患者の場合は、上記のいくつかの不安や心配からは開放される。
さらに、充分な保険に入っていたことが一つの心のよりどころにさえなるというのだ。
生命保険が自分の家族への愛情の証に思え、自分の生きていた証のようにも思え、
父親として夫としての責任を少なからず果たせることに対して、
少し安らかな気持ちになれるそうだ。
「死が目前に迫っているという辛い事実、恐怖」の中にあっても、
「自分は備えはしていた。家族を路頭に迷わすことにはならない。あとは病気を治すだけだ」
そういった気持ちが、病床において積極的に生きようとする気力につながると言うのだ。
最終的な死を避けることはできなくても、本人の気力が死期を延ばすことは充分あるそうだ。
家族と過ごせる最期の時間を1日でも延ばせるとしたら、それは素晴らしいことではないか。

充分な生命保険に加入したとて、永遠の命を手にすることなどできるはずもないが、
最期の日を1~2日、1~2週間、1~2ヶ月、それ以上・・・
少しでも延ばすことができたら、それは素晴らしい御利益なのではないかと思う。

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2008.06.25 | 遺族保障について | トラックバック(0) | コメント(-) |

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